俺たちは審神者の名を知らない。
審神者は自分のことを「審神者」と言うし、こんのすけも教えてはくれなかった。
どうやら、そういうことになっているらしい。
本丸名が「さとう本丸」だから、さとう何某なんだろうなとは思っているが、
本当のところは誰も知らない。
各々、主や大将などとさまざまな呼び方で審神者のことを呼んでおり、
それが審神者のあだ名のように定着している。
生活や運営に支障はないし、特に誰も気に留めていないようだ。
ただ、ふと名を知りたくなる時がある。
鶴丸、と俺の名を呼ぶきみを見ていると。
俺には鶴丸国永という名前があり、気安く呼んでもらうことも割と気に入っている。
だが、名は呪いでもある。
人間である審神者が、付喪神の俺たちに名前を明かさない決まりとなっていることは、なんとなく理解できる。
だが、名は祝福でもある。
きみをきみたらしめる名を、誰からも呼ばれないことを、きみは淋しく思わないのか?
じゃあ、何がきみをここにつなぎとめてくれるんだ?
なあ、きみ。名を教えてくれるか?
未だに聞くことはできていない。
こんなに近くにいながらも、その一歩を踏み込めてはいないのだ。
俺は、きみの名を知らないことを、淋しい気がしているんだぜ。
などと縁側でつらつらと考えていたら、客だ。
庭に時々来るのら猫だ。
貞坊と、随分と可愛らしい名前を勝手につけた猫だ。
俺は手招きをして、猫の名を呼んだ。