小学校~中学校まで、日記を書いていた。
まあ、もちろん毎日書くわけではない。
思うことがあったときに、書いていた。
といっても、結局毎日のように書くことはあるわけで。
いいことも、悪いことも書いていたし、
青春時代らしく、好きな人のことも書いていたし、
(結構、そのことが多かった気もするが・・・)
何でもかんでも、日記にのこしていた。
つまり、文字で遺していた。
人間って、想像以上に忘れていく生き物で。
正直なところ、日記に何を書いていたかは覚えていないのだ。
もちろん、〇〇年前(内緒)だから仕方ないことかもしれないが・・・
その時の感受性で、その時代に感じたことを、そのまま残しておくことって、
文字で遺しておく以外、方法がないんだよなぁ。
今、同じ体験をしたとて、同じことを思うとは限らないし。
そして、感じたとして、想像以上に忘れるし。
最近、歌を聴く機会があったんだが。
いわゆる懐メロを。
とても懐かしいのと合わせて、当時の気持ちもなんとなくよみがえるのよね。
はっきりとではないんだが、
少しの哀愁とともに、ぼんやりと思い出す感じ。
そして、その歌がとても好きだったことも思い出すのよね。
つまり、好きだったことも忘れている。
びっくりするよね。
聴くまで、忘れてるんだから。
当時はあんなに好きだったものを。
そう考えると、文字にして遺しておくって、大切なことだと思う。
このブログもそうなんだろうけど。
文字で遺っていれば、思い出せるから。
全てを覚えていられなくても、大切なことは遺るでしょう?
わたしはすでに30代も半ばが間近に迫っていて、
今の生活に特段の不満はないけれど、
なんとなく色々なことに焦っている気もする。
今から、昔聞いていたMDを引っ張り出してきて聴く余裕はないし、
かつての友人と連絡をとろうという気も起らない。
でも、実家にあるであろう日記くらいは探して読んでみてもいいかなとは思う。
なんだかんだ言って、あの頃の感受性は豊かだったと思うし、
文字にして書いて、整理して、定期的に振り返っていたから、
反省して成長できていた時期だったかもしれないとも思う。
つらつらと書いてみたけど、これも文字で遺すということ。
ネットの海の中で、どこに流れていくかはわからないけど、
確かに遺っていくだろう。
わたしもいつか、読み返すだろう。
to be ほにゃらら・・・